ザ・本屋さんの高橋社長推薦! 十勝で暮らしながら執筆活動を行う作家さんの作品を紹介します。
今回は、ペンネーム「黒猫」さんの「見えるよ」を紹介します。
「見えるよ」
五歳になる娘サラには不思議なものが見える。
「ねえ、ママ。木の葉っぱの上に人がいるよ」
「へー。妖精かな。どんな人?絵にかいてみせて」
「うん」
サラは、お絵かき帳を持ってきた。そして、さらさらと描いてみせた。
「はい。こんなかんじ」
肌着のおっさん。
「なんか可愛くないね」
「うん。葉っぱの上でごろごろしてる」
「そっか。でもいるだけならいいね。またいたら教えてね」
「うん。わかったー」
私は娘が本当のことを言っていると知っている。
私も五歳位まで不思議なものを見ていた。
私の母は見えたことがなく、亡くなった祖母は子どもの頃に見えていたと話してくれた。
「ママ、あそこに羽のはえた牛」
「あ、虹色のねずみ」
「いろんな色の水玉がういてるよ」
出かけると見るたび教えてくれる。
私は見たものを絵に描くように言った。
見えなくなったときに絵があれば懐かしく思い出せる。
サラは絵が上手だ。
私が子どもの時、母に見えたことを言うとそういうことを言うなと注意された。
母は自分が見えないものを見えると言う娘を気味わるく思っていた。父も同様だった。
だから私は祖母に伝えた。
見えたものを教えるとうれしそうに笑い。
「私も小さな頃いろんなものが見えて世界が素敵だったわ」
と喜んでくれた。
祖母がどんなのか描いてみてと言うのでよく描いて見せた。
だけど、私は絵心がなく見たものをうまく描けなかった。
それでも一生懸命に描いて見せると優しい笑顔でほめてくれた。
私は祖母が大好きだった。
ある日、娘が泣いて帰ってきた。
「みんなが私をうそつきだって言うの。見えるから見えるって言ってるのに」
私にも経験があるが私は早くから、そういうことを言うなと母に言われていたので、祖母以外の人にはあまり言わなかった。
それでも、仲のよい友達に言ったとき変な目で見られてイヤな思いをしたことがあった。
サラは見たままをすぐに言って育ってきた。何て伝えようかと考えた。
「サラ。うそつきって言われて悲しかったね。みんな自分に見えない素敵なものが見えるサラがうらやましいのよ。
だからいない、うそつきって自分が見えないものはいないことにしたいの。
だけどね。サラが見えているのは本当なんだから、うそつきなんて言葉は気にしないでいいの。
いじわるを言う子にはサラが見えるものを教えなくていいわ。
信じてちゃんときいてくれる子にだけ教えてあげなさい」
サラは涙をふいてうなずいた。
どうしても人と違うことを言ったりやったりすると批判をうける。
子どもは悪気なく違うと言う。
つらいと思うけど仕方がないことだ。
私がサラの理解者でいたらいい。
夫はその話をきいて子どもたちがそう言うのも無理はないとしながらも
「見えてないと描けないのになぁ。サラ気にしない気にしない。パパはサラの味方だぞぉ」
とおどけて見せた。
サラは笑って
「パパの肩に茶色のちいさな犬がいるよ」と言った。
夫は驚いてサラを見た。
「サラ。描いてみせて」
サラが絵に描いて見せた。
「ヤマトだ」
夫の目には涙があふれ頬に流れた。
ヤマトは夫が小学一年生から飼っていた柴犬ですごく可愛がっていた。
二年後、散歩中に誤ってリードを離してしまい車にはねられて死んだ。
夫はそれがトラウマになり以来ペットを飼っていない。
そして、この話を私以外の誰にもしていなかった。
「サラ本当に見えているんだなぁ。教えてくれてありがとう」
夫はサラをそっと抱きしめた。
私はその光景を優しい気持ちで見ていた。
サラは夫が泣いているのを不思議そうに見ながら、こちらへやって来た。
「ママのとなり白いクジラみたいなの」
クジラ?
「サラ。描いて」
「うん!」
サラにはいつまで見えるのだろう。
この素敵な能力がいつまでもあることを祈りながら、私は絵の完成を待っていた。