【TOKACHI SOUL FOOD】04 平和園

食べると思い出す景色がある。匂いをかぐとこみ上げる思い出がある。遠く離れていても故郷の思い出は懐かしい味とともにある。ソウルフードとは、心に刻まれた思い入れのある料理をいう。十勝に住むわたしたちのソウルフードとは何だろう。これらを食べて育ってきた。きっとこれからも味わってゆくのだろう。名前を聞いただけで、その味が思い出されるほどに。十勝のDNAとして刻まれた、ソウルフードに迫る。

十勝に焼肉文化を根づかせた、網焼きのジンギスカン

手切りをするのは、細かな作業ができるから。羊は一頭丸ごと仕入れており、骨を外す作業以外はすべて手作業で行っている。

安くておいしい、十勝を代表する焼肉店の平和園。そのルーツは韓国と大阪にある。戦後、韓国出身の新田益司さんが大阪に出した「平和亭」というホルモン焼きの店が始まりだ。益司さんの息子・良基さん(現・平和園会長)によると「国内で2番目くらいに古い焼肉店」とか。残念ながら長くは続かなかったが、新田一家は新たに店を開こうと帯広にやってきた。

なぜ帯広だったのか。過去に益司さんが長靴の行商で帯広に来たときに、親切にしてもらった記憶があったからだ。店の名前は「平和園」。今の本店と同じ建物だが、広さは3分の1ほど。手作業による丁寧な肉の処理と、韓国由来の本格的な味つけによって客を増やしていった。

平和園の特徴といえば、良心的な価格設定。背景には良基さんが大阪の工場で働いていたときのエピソードがある。徹夜で働くこともあった過酷な労働現場。そんな中、給料日には上司がホルモン屋に連れていってくれた。良基さんは満腹になるまで食べたホルモンのおいしさを今も忘れることはない。「一生懸命働く人間のために、なるべく安く売りたい」。今もメニューの原価率は高いまま、手間暇をかけて提供し続けている。

益司さんが病に伏してからは良基さんが中心となり、家族や仲間と共に店を増やし、繁盛させていく。こうして平和園は十勝に焼肉文化を広げていった。

注文が入ってから肉に味をつける「一丁付け」の様子。10種類以上の調味料を入れて、手早く肉にもみ込み、盛り付けていく。時間にすると十数秒の早業だ。

舌の肥えた十勝の人々に鍛えられて、60 年以上。

帯広に6店舗、札幌に3店舗を構える。

平和園を代表するメニューといえば、やはりジンギスカンだろう。その歴史は古く、1950年代までさかのぼる国策によって羊を飼い、羊毛を生産する産業が根づいていた北海道。その羊肉を活用しようと考えたのだ。他の店でもジンギスカンとして提供され始めていたが、冷凍したマトンロールを使うのが主流。平和園では羊を一頭まるごと仕入れて、骨を外し、余分な脂やスジを取り除き提供した。そうすると羊独特の臭みが抑えられ、「これはうまい」と徐々に人気が高まっていった。

食べ方もユニークなものだった。当時、ジンギスカンの提供方法は大きく2つに分かれていた。タレを先に付ける「先付け」と、焼いてから付ける「後付け」である。平和園はそのどちらでもなく、注文が入ってから調味料を調合し、肉にもみ込んで提供。客は食べる際にもう一度タレに付けるという“両付け”を採用。「日本人はタレで味を付けたものを焼いて食べるのが好き。しかも十勝の人は甘辛い味が好きで、豚丼もそうですよね」と三代目の新田隆教社長はいう。確かに一般的な焼肉のタレに比べ、平和園のタレは甘めだ。十勝の人々の好みに合わせて、平和園の味は作られてきたという。
新田社長が一番好きなメニューは、ジンギスカンの並。「並にはいろいろな部位がミックスされていて、飽きのこない味。子どもの頃から食べている、私のソウルフードです」。店で忙しく働く両親が、たまのごちそうとして食べさせてくれたジンギスカン。今も昔も新田社長の元気の源になっている

「十勝のお客さんは舌が肥えている。畜産関係の仕事をしている方も多く、肉の価格を知っている。地元に正直でありたい」。あらゆるものの価格が高騰しており、状況は厳しい。それでも創業当時から“気軽に焼肉を楽しんでもらいたい”という思いは変わらないという。新田社長は「ソウルフードは地元の方々が選ぶもの。もしかしたら50年後には変わっているかもしれないけれど、これからもお客さんにそう言い続けてもらえるように襟を正したい」と話してくれた。

東銀座店の内装。店によって装飾が異なるのも平和園の魅力だ。

平和園 本店
電話番号 0155-22-6151
住所 帯広市大通南12 
営業時間 11:00 ~ 23:00
定休日 木曜(祝日の場合営業)